ドラマ“北の国から似非研究者”として最近気になるのは、ネット上に多く存在する「北の国からロケ地巡り」系のサイトで当然のように語られている「財津病院=渡部医院」の事。「財津病院(渡部医院)」とか「財津病院(現在は渡部医院)」とまで書いてあるサイトもあります(笑)。
富良野市の観光協会のようなところが作成したと思われるマップですら、そう記述してますからね〜。誰もがそう勘違いして当然だと思います。

しかし、俺は「財津病院≠渡部医院」を唱えます。

まず、渡部医院とは
●連続ドラマシリーズ(’81年)第17話で令子(五郎さんの妻)が富良野に来て急に倒れた時に入院した。
●「'83冬」で正吉が屋根から落ちて雪に埋まり、搬送された病院もここ?
●「'98時代」で五郎さんと時夫(草太の友人)が土下座合戦を病院前でやっていた。
●「風のガーデン」では「白鳥医院」として登場。

そして財津病院は
●「'92巣立ち」で春から螢が勤めるということで(五郎さんが話を半ば勝手に進めていた?)、五郎さんが新巻鮭を持って挨拶に行くよう螢に促す。

といった病院です。

通説はこの2つの病院が同一で、実在の渡部医院を財津病院として撮影したというもの。
実は本日、富良野で訊いてきた話でもそのような回答が得られました。(しかも、かなり確実な情報筋です)

では、検証してみましょう。

まずは連続ドラマシリーズ第17話のからのキャプチャー
渡部医院〜17話






看板からしてまさしく渡部医院です。注目すべき特徴は入り口屋根上の2階窓。他の窓2枚分の大きさがあります。そして向かって左側の張り出した部分。

そして’92巣立ちからのキャプチャー
財津医院






財津病院です。五郎さんと純が新巻鮭を持ってコソコソやっています。
上の渡部医院の画像と見比べてみてください。例の大きい窓がなく、左側の張り出しもありません。

で、現在の渡部医院。
渡部医院2010






これは俺が撮影したものです。
第17話の渡部医院の特徴が見て取れます。

それからもうひとつ。財津病院の建物に貼ってある住所「○町2」とあり、向かいには「大道家具店」(現在は存在していないようです)があります。
対して渡部医院の住所は「本町1」。


以上の事から「財津病院≠渡部医院」ということが証明されると思います。

財津医院は探してみても見つからないんですよね〜。ネット上でも“ホンモノ”の財津医院を見かける事はありませんし。もしかすると「'92巣立ち」の撮影が終わって間もなく取り壊されたのでしょうか?
富良野に行った時にはキョロキョロ探しているところです。Googleストリートビューで富良野市街を見られるようになったので活用しなくては。

財津病院と渡部医院を考察 その2 へ
財津病院と渡部医院を考察 その3 へ