その1では「財津病院≠渡部医院」を提唱しました。
その2では「財津病院はどこにあったのか?」を考察しました。

そして今回は「財津病院のモデルとなった病院は??」を調べてみます。

富良野市図書館の郷土資料室へ!

まず古い地図を探しました。
富良野市街図
『富良野市街図』発行年月日は記載されていませんでしたがかなり古いものであることは間違いなさそうです。
“その2”で探り当てたポイントの周辺をご覧下さい。
植竹医院周辺
そのポイントには「植竹医院」という病院が見て取れます。渡部医院もあるし三日月食堂、大道家具店もあります。現在の三番館はこの地図の当時は「かね七デパート」だったんですね。

「植竹医院」だということは判りました。是非建物の画像が欲しいところ!資料を漁ることにします。

ありました。まず1冊目。
富良野医師会史巻末富良野医師会史表紙
『富良野医師会史』
これは期待がもてる資料。
ありました。
植竹医院(富良野医師会史)富良野医師会史
この外観は!!
財津医院
まさしく財津病院。(「'92巣立ち」画像)

次に
富良野開基70周年記念写真集巻末植竹医院(富良野開基70周年記念写真集)
『富良野市開基70周年記念写真集』
やはり
財津医院
と同一。

『富良野市史』を調べてみました。まず第二巻より
富良野市史第二巻

第三巻
富良野市史第三巻

以上、富良野市図書館で調べた結果です。
ちなみに現在の植竹医院の場所は...
植竹医院跡地(平成22年2月)
やはり春ちゃん寿司と駐車場になっています。

「北の国から'92巣立ち」に出てくる財津病院のモデル(ロケ地)は渡部医院ではなく、本町2丁目にあった植竹医院である事が完全に証明されたと思います。(もしかしたら地元の人には既知の事かもしれませんけどね)


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