今年2度目の十勝岳です。
前回は6月初旬、ピークまでは行かず足慣らしと雪渓ひゃっほ〜〜+山ラーを楽しみましたが、今回はピークを目指します!
天気予報はあまり良くないので多くは期待できませんが。

今回の予定ルートです。
白銀荘〜十勝岳

いつも下山♨️でお世話になってる、吹上温泉白銀荘からスタートです。
DSCN0721
DSCN0720
十勝岳登山というと、望岳台から攻める方が多いんでしょうかね?
望岳台の壮大な景観からスタートするのも良いですが、この白銀荘スタートも是非是非体験して戴きたいと思ってます。
変化に富んだルートがトレッキング的にとても楽しく、十勝岳と大正15年5月24日の大爆発にまつわるヒューマンドラマを感じる事ができるのです。
その大爆発の際の泥流地帯を横切るコースとなります。
DSCN0722
入口。すぐに、望岳台との違いが解ります。
DSCN0723
十勝岳爆発記念碑。
火山観測の小屋の向かいにあります。
昭和3年10月7日建立。かつては建物の中にあったそうで、そこで登山者が休憩することも出来たそうです。現在は建物がなくなり石碑だけになったようです。
DSCN0728
濃い針葉樹林。
DSCN0730
シラタマノキでしょうか。
DSCN0733
沢に出てきました。富良野川の源流部です。沢に出る手前に「岡本三男の碑」があるはずなんですが、見当たりませんでした。以前来た時もなかなか見つけられませんでした。草木に隠れてしまっているんでしょうか。
この富良野川を流れて上富良野の町に泥流が押し寄せていったんですね。
DSCN0736
日本庭園のような坂を登ると、
DSCN0737
おっ
急に人工物が現れるとギョッとします。
DSCN0738
九条武子の歌碑。
『たまゆらに けむりおさめて しずかなる
    山にかえれば 美るにしたしも』
「武」と「山」しか読めません(笑)
九条武子歌碑など、このコースで見られる碑については、本記事の最後に纏めておきます。

DSCN0739
松の木のトンネル。
いや〜、歩いていて本当に楽しい道のりです。

※音量注意(おっさんの吐息が聞こえますw)
泥流分岐あたりまでの道のり動画です。
少し進むと望岳台からのコースと合流。
DSCN0745
雲ノ平分岐。
晴れていて、そこそこ暑いです。
DSCN0746
避難小屋が見えてきました。
上の方、雲が!風もあって結構寒いです。雲ノ平分岐で脱いだジャケットはすぐに着直しました。

避難小屋到着。寒いんで中で休ませてもらいましょ。
DSCN0748
DSCN0749
ヘルメットや毛布など、緊急避難の際に必要なものが用意されています。緊急避難以外は宿泊出来ないことになっています。
ペットボトルなどゴミが放置されているのが非常に残念。誰かが下界のゴミ箱に捨ててくれると思っている愚か者がいるんですね。。。
さて、おやつを食べて一息ついたので登りますか!

※音量注意(おっさんの吐息が聞こえます。)
避難小屋のちょっと上です。しばらく急登が続き、一気に高度アップしていきます。
ひたすら登ります。
さっきまでいた避難小屋が芥子粒のように小さくなりました。

※音量注意(またも おっさんの吐息が聞こえます。)
更に風が強くなってきましたよ。
地面が黒くなってきたら、スリバチ火口はすぐそこです。

※音量注意(やはり おっさんの吐息が聞こえます。)
ここを登り切った時、天気が良ければ"美瑛岳どーーーん!"で、右を見ると"十勝岳どーーーん!"なローケーションなんですけどね〜。
この視界、この強風と寒さで何が期待出来るでしょうか?
山頂までの火星ルートで道迷いとか低体温症になってもつまらないので、ここで引き返すとしましょう。
(5分と滞在せず下山)
6月に続き今回もここまで!
山頂へ行けなかったのは残念ですが、全然いいんです。小屋に戻りましょう。

なにせ、俺は、


IMG_3881
ラーメン食べに来たんですから!
藤原製麺 ラーメンの街旭川ガラ味醤油。
IMG_3882
「冬-30℃のシバレた日は体の芯まで温まるラーメンが一番。」
は?-30℃?誰だ、このコピー考えて採用決定した解凍脳みそは!発想が軽薄すぎだろ。
ふと、渋谷道玄坂の旭川ラーメン店を思い出しました(笑)
IMG_3883
大雪山連峰というのもどうか...
IMG_3885
お湯を沸かして作ります。
今回はいつもの焼豚メンマが手に入らなかったんで(先般の震災/停電以降、見かけなくなりました)、
IMG_3884
味付け玉子と生の長ネギを載せます。
IMG_3886
出来ました!
IMG_3892
あったか〜い!
鶏ガラスープであっさり系。
これが旭川ラーメンなのかと言われれば微妙だし、旭川ラーメンの紹介文もむちゃくちゃだけど、温かくて美味しいですよ!
山の中で食べるならオススメです!(笑)

Jets的ラーメン評価「山+」でお願いします!
ごちそうさまでした!

さ、色々出した荷物をリュックに収め、食後のデザート・蔵生(白)をのんびり戴いたんで下山しますか〜。

DSCN0769
山頂方向を振り返る。何か荒れてそう。
スリバチ火口からの下山時も、小屋からの下山時にも何名も登る人たちとすれ違いましたが、大丈夫だったかな〜。旭川近郊の高校のジャージで登っていった子もいたし。
DSCN0770
泥流分岐近く。なかなかの雨が降ってきました。
かつて魚釣りをしていた時代からなんですけど、レインウェアのフードにポツポツ当たる雨の音って好きなんですよ。ポツポツじゃなく"ダーーーー"に変わるとイヤですけどね。
九条武子歌碑まで歩いた頃には雨は止みました。
DSCN0776
リンドウ。雨が降る前に花を閉じるんですってね。信頼できる天気予報かもしれません。
白銀荘に戻って来ました。
あ〜、終わっちまった...
DSCN0780
キャンプ場。すごい綺麗ですね!ゴミが見えません。利用者の民度の高さを感じます!
DSCN0782
炭火禁止。
そうか。タープ張って椅子にふんぞり返って炭火で肉焼いて酒を飲む人間がいない、というだけでキャンプ場はこれほどまでに美しさを保てるのか!!
DSCN0783
入山届けに「下山」と書いて終了です。

リュックを下ろして登山靴を脱いだら、
IMG_3897
そこは白銀荘!
左上の鐘には由緒があったんですね
IMG_3899
昭和32年に「白銀の鐘」として登場し、移設〜撤去を経てこの場所に。よくぞ行方知れずにならず保管されていたものです。
改めて白銀荘、十勝岳にまつわる人々のドラマを感じますね〜

いつものように露天風呂にゆっくり使った後は
IMG_3901
ぷは〜〜〜〜〜
です。
通常の山行より早い下山となりました。
下界に戻ったら、何か美味しいものでも食べましょうかね〜。

したっけね。

通常の山ラーブログではこれで終了なんですが、今回のコースで見て感じた、碑と人々の思い、歴史を探ってみたいと思います。
【大正15年5月24日の十勝岳大爆発】
「1926年(大正15年)5月24日16時18分頃、北海道の十勝岳で噴火が発生。噴火に伴って、中央火口丘の北西部分が破壊され、山頂部の積雪を溶かして大規模な泥流が発生した。泥流は噴火から約30分後には山麓の上富良野町や美瑛町に達し、この一帯の集落や耕地が埋没した。
 泥流に巻き込まれるなどして144人が死亡・行方不明となり、被害家屋は300棟以上に及んだ。」
(Yahoo!災害カレンダーより)
小説家・三浦綾子が「泥流地帯」という作品を書いています。

ほぼ「かみふらのの郷土をさぐる会機関誌」を参考に、Jets的に要約致しました。
IMG_3951

まずは前述の
【十勝岳大爆発記念碑】
DSCN0723
昭和3年10月7日建立。
●大爆発から3年、火山活動は沈静化し被災地は災害前に勝るほどの復興が進んでいる。
●望岳台付近にあった丸谷温泉、大正火口付近にあった平山硫黄鉱業所の惨死者は現地で火葬に附されたが、この残骨残灰を収容し墓標を兼ねた堂宇と記念碑を建立しようとの働きが実現。
●5坪ほどのお堂が建てられ、中に記念碑があった。登山者の休憩所にもなっていた。

【岡本三男の碑】
DSCN0188
昭和29年6月27日建立。
今回の山行では見つけられなかったので、去年歩いた時に撮った写真です。
岡本三男...
●明治32年2月2日 山口県岩国市に生まれる。
●大正9年4月 北海道帝国大学農学部林業実科に入学。北大スキー部(北大山岳部の前身)に入会し山行活動に没頭し、多くの岳友を得る。
●大正14年4月 北海道庁拓殖部林務課林務官となる
●昭和7年4月 道庁拓殖部林務課 旭川営林区署に転勤、十勝岳ヒュッテ白銀荘の建設に関わる。
●昭和20年5月8日 大東亜戦争、沖縄戦にて戦死。享年四十七歳。
その岡本三男の碑を建てようとする趣意はこちらが詳しいです。
岡本三男氏の山男としての生涯を記念して建立されたんですね。趣意書を読むと、山男としてとても愛されていたことが伝わってきます。

【九条武子歌碑】
DSCN0738
昭和4年7月9日建立。
九条武子
兄の長男は頂上碑「光顔巍々」(後述)の書・大谷光照猊下(以下敬称略)。つまり大谷光照の叔母。
明治20年10月20日 京都西本願寺で生まれる。
明治42年9月 男爵九条良致に嫁ぐ。(今上天皇のご親戚筋にあたる)
昭和3年 41歳で没。
『たまゆらに けむりおさめて しずかなる
        山にかへれば 美るにしたしも』
●昭和2年9月4日、九条武子が仏教婦人会総裁をしていた関係で、旭川で開催された北海道仏教婦人会大会に出席のため来道。大会が終了の翌日、9月5日旭山公園への行き帰りに、十勝岳爆発の被害状況を聞き、遭難死者の霊安らかならんことを祈り、十勝岳の鎮静化を心から念じこの歌を詠んだ歌のひとつ。
●九条武子がこの歌を詠んだ事を知った上富良野聞信寺 門上浄照師(以下敬称略)は、ぜひ歌碑の建立をと考え申し出たところ「たまゆらに〜」の揮毫を拝受した。この直筆の揮毫は歌碑と同じ大きさで、現在も聞信寺に大切に保存されている。
●翌 昭和3年2月、九条武子早世。訃報を知った門上浄照は「たまゆらに〜」の歌碑を十勝岳に建立しようと考え、檀徒の方々へ援助と協力を願い出た。
●昭和4年7月9日、九条武子の兄・西本願寺法主 大谷光明猊下(大谷光照の父)を迎え除幕式を行った。

と、ここまでが白銀荘から歩いて直ぐの泥流地帯にある碑です。
大爆発の泥流により大災害を被りながらも、十勝岳を愛し共に生きてゆく人々の思いが伝わってくるようであります。

今回は山頂まで行けませんでしたが、山頂にも碑があることをご存知でしょうか?
登頂したことがある方なら記憶にあると思います。
DSC_0046
十勝岳山頂標識のすぐ横にある
DSC_0085
「光顔巍々」の碑。
こんな斜め撮りの半端な写真しか撮っていませんでした。
たぶん、他の登山者がいるんで真正面から撮らなかったんだと思います。

身内の法事があり、法要の際に冊子が配布されました。
その中に「あ!これどこかで見た!」という文字が。気になって法事どころではありません。
ほどなく、どこで見たのか思い出しました。
さすがに法要の最中は撮影出来ないので、法要後に撮らせてもらいました。
(暗いところで撮ったので、ピンボケご勘弁)
IMG_2371 2
真宗勤行集
IMG_2370
讃佛偈
IMG_2369
「光顔巍巍 威神無極 如是焔明 無与等者」
光顔巍巍として威神極まりなし。かくのごとき焔明、ともに等しきものなし。
と読み下すようですが、その意味は
「御姿まぶしく 徳かぎりなく その光明に 並ぶ者なき如来よ」
仏様のルックスを褒め讃える歌だそうです。

では、十勝岳連峰最高峰に鎮座する石碑の歴史を見てみましょう!
【十勝岳頂上碑「光顔巍々」】昭和17年7月(紀元2600年)
●上富良野 聞信寺住職・門上浄照が大正10年8月、大自然に富む十勝岳を、聖徳太子の聖範を基に北海道の仏教一霊場として開こうとの大願をいだき『趣意』を書いた。
●門上浄照は、十勝岳を源とするヌッカクシフラヌイ川の上流の滝の名に、聖徳太子の法華経義疏・維摩経義疏・勝鬘経義疏の三経義疏から「法華の滝」「維摩の滝」「勝鬘の滝」とつけた。
●昭和12年2月28日、西本願寺(浄土真宗本願寺派)第23世法主・大谷光照が3月1日に十勝岳にスキー登頂。山岳スキーを楽しまれると共に十勝岳の大自然に満足される。
●2日後の3月3日、大谷光照 上富良野 聞信寺に立ち寄る。門上浄照が十勝岳を仏教の霊山としての開発に積年の悲願と努力をしていたことを伝え、十勝岳山頂の霊とすべき碑に「光顔巍々」の文字を所望し揮毫を懇願。大谷光照は永年の御苦労を讃え快諾。
●同年3月末、「光顔巍々」と揮毫された書が聞信寺に届けられる。表装され現在も聞信寺にて保管。
●十勝岳頂上碑建立は、支那事変(現在、日中戦争と呼ばれている戦い)勃発。頂上碑の建立は一時見送り。
●昭和17年、聞信寺の壇信徒・岳人仲間・役場の支援により建立の準備に入る。碑は設計段階では四角柱であったが、頂上までの運搬には重量が重過ぎるとの意見で、現在の三角柱になった。花崗岩製石碑「光顔巍々」の十勝岳頂上碑を建立。
碑の裏面には
『維持昭和十二年三月一日 西本願寺法主大谷光照師當山頂上ヲスキーニ据リ踏破シタル記念トシテ表記ノ如く揮毫セラレ之ヲ刻シテ後昆に傳フ矣 紀元二千六百年七月建之』
●「光顔巍々」の趣旨について、美瑛町南町大林貴美枝さんが、大谷光照に直接手紙を宛てた際の返信。
「浄土真宗の根本経典一大無量寿経(大経)の巻上にある讃仏偈と呼ばれる偈文(韻文の讃歌)の冒頭の句がこの『光顔巍巍』の四文字で、御仏の立派なお顔をほめたたえた句です。『巍巍』は漢和辞典によれば『富貴高顕の貌とあり、ふくよかで高尚なお顔』とでも解すべきでしょうか。尚、巍の字は本来高いという意味なので、門上氏は山頂の碑にふさわしい文字と考えられたのではないでしょうか。」

以上でございます。
合掌、礼拝。

変化に富んだ楽しい十勝岳登山Jets的オススメコースですが、これらの石碑の由来を少〜しでもインストールして登ると、登山の感慨倍増ではないでしょうかね。
もちろん三浦綾子著「泥流地帯」もオススメです。

では、皆様、ご安全に!





にほんブログ村 グルメブログ ラーメンへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 旭川情報へ