- 2020年9月18日 初回公開
- 2020年12月18日 旭川ラーメンえ〜やん(深川中央店)情報修正
- 2022年2月2日 緑が丘店情報修正
- 2023年7月10日 豊岡4条店閉店について追記
- 2024年7月30日 神楽店情報修正
第1回は「熊ッ子チェーン店舗紹介」でしたが、第2回では「こぐまグループ店舗紹介」をお送りします。
【こぐまグループ】
"製麺会社絡みのトラブルで「熊ッ子チェーン」と「こぐまグループ」に分裂した"というのは第1回にある通りです。
「こぐまグループ」は1992(平成4)年7月1日に発足しました。
分裂したとはいえ、この2大チェーン(当研究所では「旭川熊系」と勝手に呼んでいる)は基本的な味は似ており、共通メニューも多いので、初訪問のお店でも安心してバリエーションメニューを楽しめるというのも特徴です。
中でも「熊ッ子」由来の"熊系5メニュー"と(当研究所では)呼んでいる、「特製旭川」「チャンポン」「ジャンボ」「熊ッ子(こぐま)」「チンジャオロース」が揃っている(またはどれかが残っている)、という共通点があります。また、"レンゲがデカい!"というのも特徴的な共通点です(普通サイズのお店も多いですが)。
「こぐまグループ店舗紹介」
■こぐまグループ 店舗紹介
【熊ッ子チェーンとしてオープンし、現在はこぐまグループとして営業している店舗】(2020年現在)
まずは旭川市・上川管内から、判る限りで創業年順に紹介します。店名は便宜上「こぐまグループ○○店」と記します。
■こぐまグループ 南東光店(熊ッ子チェーン親和支店)
旭川市東光7条1丁目2-32
醤油篇/チャーハン篇は→こちら
塩編は→こちら
みそ篇は→こちら
1978(昭和53)年電話帳で確認。熊ッ子チェーン最古参の1店。
『熊ッ子誕生物語』によると、「三号店は池田という人で、渡辺(後述)や阿部(東光支店)の友人で南東光にオープンした」とあります。但し、電話帳では後述に登場する数店の方が登場が早いので、"三号店"というのは違う可能性があります。
1990(平成2)年の住宅地図では店名の横に池田氏の名前が併記されています。
上に1978年電話帳で確認とありますが、開業時は現在地とは違う
旭川市東光11条3丁目
にて「親和支店」として営業していました。(電話帳では「親和」とありますが住宅地図では「新和」とあります。本記事では電話帳の「親和」表記を用いることにします)
1981年(昭和56)年電話帳からは現在地、
「南東光店」として営業。「親和支店」と電話番号が同一ですので連続性は確定的と思われます。
2019年にみそ篇でお邪魔した際はベテランの池田氏ではなくお姉様が厨房に立っておられましたので、世代交代されたのかも知れません。こぐま南東光の味が伝承され、何よりです。
■こぐまグループ 4条店
旭川市4条通4丁目右2
正油篇は→こちら
塩篇は→こちら
チャーハン篇は→こちら
熊ッ子4条店としては1978(昭和53)年電話帳で確認。
熊ッ子時代(1990年頃まで)は現在より1ブロック西(道路挟んで隣り)にありました。
こちらが、
現在地です。
現存の「こぐま」では最古参の店主と言えるでしょう。
■こぐまグループ 近文店
旭川市緑町12丁目2683
正油篇は→こちら
みそ篇は→こちら
塩篇/チャーハン篇は→こちら
1984(昭和59)年の電話帳で確認。
■こぐまグループ 士別店
士別市大通東7丁目
正油篇は→こちら
みそ篇は→こちら
塩篇は→こちら
1984(昭和59)年の電話帳で確認。
■こぐまグループ 東神楽店
東神楽町南1条西3丁目1-1
正油篇は→こちら
みそ篇は→こちら
しお篇は→こちら
1986(昭和61)年11月オープンとのこと。
【熊ッ子チェーンとしてオープンし、現在はこぐまグループとして営業している店舗】(2020年現在)
旭川市・上川管内以外のお店を見てみましょう。
■こぐまグループ 北見1号店
北見市柏陽町577-23
正油篇は→こちら
塩篇は→こちら
1980(昭和55)年オープンとのこと。
熊ッ子北見1号店時代から2001(平成13)年頃までは現在の店舗からほど近い、
北見市公園町116-1
にありました。2001年電話帳ではこちらの所在地での記載になっています。
■こぐまグループ 北見2号店
北見市中央三輪4丁目493-59
みそ篇は→こちら
1986(昭和61)年の電話帳に記載がありました。
1991(平成3)年の電話帳では現在地ではなく、
北見市中央三輪4丁目513-9
と記載がありました。
■こぐまグループ 熊の屋(釧路)
釧路市東川町2番10号
正油篇は→こちら
「熊ッ子ラーメン東川店」として営業していましたが「92年7月事変」でこぐまグループに加入。しかし「こぐまグループ東川店」といった屋号にはなりませんでした。
釧路市には1957(昭和32)年創業の「子熊ラーメン」という超老舗が存在していたため、その屋号は使用出来なかったものと推測します。
【熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入したが現在は独立営業している店舗】(2020年現在)
■旭川ラーメン え〜やん(熊ッ子チェーン深川中央店)
深川市3条7番11
しょうゆ篇は→こちら
1981(昭和56)年電話帳で確認。「92年7月事変」でこぐまグループに加入した後に「え〜やん」として独立しました。2006(平成18)年電話帳まではこぐまグループでしたが、2008(平成20)年電話帳では「旭川ラーメンえ〜やん中央店」と記載があります。(正式には「旭川ラーメンえ〜やん深川中央店」)
深川中央店を総本家とするグループは札幌へ進出し、西岡、中の島、厚別、里塚店(正油篇)、澄川に展開。手稲、下手稲通、北郷、そして苫小牧、滝川、東京、横浜などにも展開しました。電話帳に「旭川ラーメン深川店」とある北35条西4丁目の店もそうではないかと思われます。これら札幌の「え〜やん」の一部は1998(平成10)年の電話帳で確認出来ました。
これほどまでに拡大した勢力なので、各店の店長は後の札幌ラーメンなどに波及していったと考えられそうです。
ネットで調べると横浜の「森や」がかつて東京杉並区で営業していた「え〜やん」や横浜のえーやん姉妹店「麺恋」が関連店である事が判ります。
その後「え〜やん」は札幌から撤退、深川の店も2015(平成27)年に閉店し「零」という札幌ラーメンの店として再スタート。ところが翌年、再び「旭川ラーメンえ〜やん」として復活しました。
「えーやん」とはアイヌ語で「召し上がれ」の意らしいです。
※「え〜やん」に関する記述は、ある方から戴いた情報を元に再編集しました。
■旭川ラーメン 文西店(深川)
深川市文光町1-30
正油篇は→こちら
こちら「文西店」はかなり謎が多いお店です。
店主は前述の深川中央店で修業されていたという情報があります。「文西店」が電話帳で確認出来たのは1992(平成4年)2月現在の電話帳です。1990(平成2)年の電話帳には記載なしでした。となると、1991〜1992.2の間に独立オープン(熊ッ子だったとの情報あり)。まもなく「92年7月事変」勃発。その時に文西店が熊ッ子に残ったのか、こぐまに加盟したのかが現在までの調査でははっきりしていません。ここではさまざまな状況から(何となくですが)、こぐまグループに加盟したという体で記載致します。
現在はグループから外れ独自営業となっていますが、2004(平成16)年の電話帳では電話番号が従来の番号から変更となっています。この時期が独立営業スタートではないかと見ています。
今後、事実が明らかになったら更新致します。
【こぐまグループとしてオープンし、現在もこぐまグループとして営業している店舗】(2020年現在)
まずは旭川市、上川地区から、判る限りで創業年順に紹介します。
■こぐまグループ 美瑛店
美瑛町北町2丁目6-31
正油篇は→こちら
塩篇は→こちら
味噌篇は→こちら
1995(平成7)年4月オープン。
北海道有数の観光地・美瑛にて、国道と十勝岳温泉美瑛線(青い池へ向かう道)に面した立地で伝統的な旭川ラーメンの店として構えています。
■こぐまグループ 東川店
東川町北町5丁目2-8
塩篇は→こちら
みそ篇は→こちら
2000(平成12)年の電話帳にて確認。
【こぐまグループとしてオープンし、現在は独立営業している店舗】(2020年現在)
■こぐまん(こぐまグループ 豊岡店)
旭川市豊岡8条1丁目1-24
塩篇は→こちら
みそ篇は→こちら
建物は非常に年季が入っており、この豊岡店は古参かと思いきや2000(H12)年の電話帳で初確認。
東神楽店、美瑛店で修行された女性店主が切り盛りしていました。
2018(平成30)年7月、建物の老朽化による立ち退きで閉店。こぐまグループの看板を外し移転オープンしたのが、
こぐまん
旭川市錦町15丁目2963-43
正油篇は→こちら
みそ篇は→こちら
塩篇は→こちら
■富良野らーめん花道(こぐまグループ 上富良野めん紀行店)
上富良野町旭町4丁目
醤油篇は→こちら
2002(平成14)年電話帳で「上富良野めん紀行店」として記載確認。その後2008(平成20)年の電話帳では電話番号を引き継ぎ「富良野らーめん花道」と記載がありました。
■旭川ラーメン 渓水店(こぐまグループ 渓水店/芦別市)
芦別市北6条西3丁目12-5
正油篇は→こちら
塩篇は→こちら
1991(平成3)年オープンという情報があります。その前は富良野市でラーメン店を営業していたそうです。
「らーめんの和田」の看板が残っております。1994(平成6)年の電話帳ではこぐまグループ一覧にありました。
推測ですが、らーめんの和田として91年に芦別でオープンし、「92年7月事変」以降に「こぐまグループ渓水店」となったのでしょうか。こぐまグループ離脱の時期は現在のところ不明です。
【熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入した後に閉店となった店舗】(2020年現在)
判る限りで創業年順に紹介します。
■こぐまグループ 豊岡北斗店
旭川市豊岡8条2丁目6-16
1974(昭和49)年の電話帳で確認。熊ッ子チェーン支店1号店です。
『熊ッ子誕生物語』によれば、熊ッ子黎明期に相原会長が市内のラーメン店で研究のため食べ歩きしていると、熊ッ子が一番美味しいという人がいたそうで、お世辞のようにも思ったが、「しかしその人は、お焼きをしている頃から、私の店にきてくれている渡辺さんという人で、本気でラーメン屋をやりたい意向だった。早速話がまとまり、ラーメン作りの手ほどきの訓練をすることにした。本人が素直に努力したので腕も上がっていった。旭川市の豊岡に空き店舗があったので、そこを居抜きで買い取りオープンにこぎつけた」とあります。
中華料理店の「北斗」との絡みがあるらしく、電話帳では長らく「旭川ラーメン豊岡支店」と中華料理店の「北斗」は同じ所在地・電話番号で併記されています。
1974(昭和49)年の住宅地図では、
旭川市豊岡6条3丁目、現在の「赤門豊岡店」の場所に記載がありました。
翌年1975(昭和50年)の住宅地図では、
旭川市豊岡7条2丁目、現在の「梅光軒豊岡店」のお隣りの建物に記載がありました。ホルモン大昌園豊岡店の建物と思われます。
1978(昭和53)年の電話帳まではこの豊岡7条2丁目で記載があり、翌年の電話帳からは豊岡8条2丁目と記載がありました。
「92年7月事変」後、こぐまグループ豊岡北斗店として営業。1998(平成10)年の電話帳では記載がありませんでした。
■こぐまグループ 神楽店
こちらも熊ッ子チェーンの古参です。
旭川市神楽4条9丁目3
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
現在「玄 神楽店」がある場所です。
こぐま神楽店、正油篇は→こちら
1998年の住宅地図までは、同じ神楽4条9丁目でも少し北西に店舗が確認できました。
この場所に移る前の神楽店は1976(昭和51)年の電話帳にて確認。
オープン当初の神楽店は国道を挟んで反対側、
旭川市神楽5条8丁目にありました。
SNSにて戴いた情報によると、神楽5−8時代は客室5坪もないような小さなお店だったそうです。
1979(昭和54)年に神楽4条9丁目に移転したようですが、この時に店主も変わったそうです。
2011(平成23)年11月、閉店を確認しました。
最初の神楽5-8時代から現在の「玄」まで同じ電話番号が使われているのは興味深いです。
■こぐまグループ 東2条店
旭川市東2条2丁目3-1
1976(昭和51)年の電話帳から登場。
『熊ッ子誕生物語』では豊岡店、東光店、南東光店、稚内店に続いて「その後、日糧パンで製造部長をしていた竹内氏が、東二条でオープン。好評だったのでその部下の職員だった人が四、五人次つぎにオープンしていった。」とあります。
この東2条店の変遷は大変興味深いものがあります。
まず、大きな流れを見ますと、
- 1992(平成4)年 7月。こぐまグループに加盟。
- 1996(平成8)年 電話帳の記載番号が変更(になっているのを確認)。
- 2004(平成16)年 電話帳の記載なし。
- 1976(昭和51)年 熊ッ子東2条店オープン(電話帳掲載年) 竹内氏
- 1979(昭和54)年 住吉氏が営業を引き継ぐ。※1
- 1992(平成4)年 7月。こぐまグループに加盟。
- 1995(平成7)年 住吉氏「ごぐまグループ新富店」オープン※2。新富店は従来の東2条店の電話番号を使用。北川氏が東2条店を引き継ぐ。
- 2004(平成16)年 電話帳の記載なし(東2条店閉店)。北川氏が春光の「味の番番」営業権を取得。※3
逆算し、電話番号の変遷と合わせて考察すると1979年に住吉氏が東2条店の営業を引き継いだと考えられます。
※2 開業年は『今日も旭ラー』より。
※3 「極うま旭川ラーメン食べ歩き」の掲示板過去ログ2005.6へのコメントがソースです。信憑性が高いと判断しました。
その後、東2条店の後には「はるかぜ」というラーメン店が居抜きでオープン。はるかぜが神楽岡に移転した後、建物は取り壊されました。
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
■こぐまグループ 緑が丘店
旭川市神楽岡6条7丁目1-5
画像は「極うま旭川ラーメン食べ歩き」のnoriさんからご提供戴きました。
1978(昭和53)年の電話帳で確認。
オープン当初は「緑が丘店」というだけあり、
旭川市緑が丘3条3丁目にありました。
当時から中央ストア、3丁目プラザ、グリーンプラザ、病院、スーパー、ガソリンスタンド、銭湯など一大ショッピングモールを成していました。
熊ッ子緑が丘店はその中のグリーンプラザにあり、現在の"そば処一茶"のお隣、"クスリのナカアキ医大前"の場所にあった事が確認出来ました。
調査をして下さったラー友の"いわさん"、ご協力頂いた一茶の大将、ベンハー靴店のご店主、そしてコメント欄にて情報を下さったninjaさんに感謝申し上げます。
1984(昭和59)年の電話帳までは緑が丘3条3丁目となっていますが、翌年からは神楽岡6条7丁目となっています。
ところが1990年の住宅地図では、
旭川市神楽岡5条7丁目
現在のDZマートの場所に緑が丘店はあります。電話帳では1985(昭和60)年以降は神楽岡6条7丁目となっているはずなのですが、神楽岡6条7丁目の建物の入居店すべてがDZのところにありますので、建物の建て替えなどの理由で一時移動していたのかも知れません。
2011(平成23)年、閉店となりました。
■こぐまグループ 末広店
旭川市末広1条7丁目1-21
旭川北郵便局の裏にありました。お昼時は郵便局員でさぞかし賑わっていたことでしょう。
1978(昭和53)年の電話帳から2008(平成20)年の電話帳で確認しました。
2009(平成21)年版の電話帳には記載がありませんでした。
■こぐまグループ 深川店
深川市2条10番16
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
1979(昭和54)年から1996(平成8)年の電話帳で確認。
■こぐまグループ 2条店
旭川市2条通14丁目618-3
1979(昭和54)年から1994(平成6)年の電話帳で確認。
閉店から今なお当時の面影を強く残す物件(廃墟)で、大変貴重です。
窓に描かれた雷文は熊ッ子のものですが、輪の中にはこぐまの手らしきものが残っています。こぐまに変わる時、輪の中のクマと文字のみを入れ替えたのでしょうか。
内部も当時の面影が強く残っており、メニュー表の看板まで残されています。
熊系5メニューの「特製旭川ラーメン」があります。価格が表示されていないのが残念です。
オレンジ色の照明の傘が昭和レトロでイイ感じですね。
■こぐまグループ 神居店
旭川市神居3条12丁目1
「ふれあい店」以前に神居には熊ッ子がありました。
1984(昭和59)年から2002(平成14)年の電話帳で確認。
■こぐまグループ 住吉店
旭川市住吉4条1丁目2-23
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
正油篇は→こちら
1984(昭和59)年の電話帳で確認。2013(平成25)閉店となったようです。
※電話帳では2014(平成26)年版まで記載有り。
■こぐまグループ 留萌店
留萌市旭町1丁目
港町留萌にも熊ッ子はありました。1983(昭和58)年の電話帳で確認。
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
1990(平成2)年の電話帳では移転となっており、
留萌市五十嵐町3丁目6-1
になっていました。
その後「92年7月事変」でこぐまグループに加盟し、閉店となりました。
閉店時期は現在のところ不明です。
■こぐまグループ 根室(白雪)店
根室市西浜町3丁目280
1991(平成3)年の電話帳で確認。2000(平成12)年のネット電話帳にも記載がありました。
【熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入した後に独立をしたが閉店となった店舗】(2020年現在)
■こぐまグループ 永山店(熊ッ子チェーンドライブイン永山店→こぐま永山店→宗)
旭川市永山4条10丁目1-12
画像は「極うま旭川ラーメン食べ歩き」のnoriさんからご提供戴きました。
■熊ッ子チェーンドライブイン永山店
旭川市永山3条13丁目
1978(昭和53)年の電話帳で確認。その後移転をし、
1989(平成元)年の電話帳で永山4-10との記載を確認しました。
「92年7月事変」までこの地で「ドライブイン永山店」として営業し、事変後に「こぐまグループ永山店」に改称されました。
その後こぐまグループを離れ「旭川ラーメン 宗(そう)」として独立。須藤製麺の麺を使用することになるもメニューには「特製旭川」「チャンポン」「ジャンボ」など旭川熊系の名残を残していたようです。
実食記事は熊系研究家esさんの「旭山ら〜めん通り」の記事ご参照下さい。
2009(平成21)年の住宅地図から「宗」となっていましたが、電話帳では確認した2015(平成27)年版までこぐまグループ永山店として掲載されていました(宗としての併記はなし)。
※あるブログによると2008(平成20)年8月には既に「宗」となっていたようです。
2014(平成26)年末に閉店となりました。
【こぐまグループとしてオープンし、閉店となった店舗】(2023年現在)
■こぐまグループ 豊岡4条店
旭川市豊岡4条7丁目7-14
正油篇は→こちら
塩篇は→こちら
『今日も旭ラー』によると2000(平成12)年創業とあります。現在の旭川熊系の中では末っ子になると思われます。
2023年6月30日、閉店となりました。
■こぐまグループ 新富店
旭川市新富2条1丁目14-15
正油篇は→こちら
前述の「東2条店」から繋がる話になります。
1995(平成7)年に東2条店店主の住吉氏が「ごぐまグループ新富店」オープン。東2条店の電話番号を引き続き使用していました。
2018(平成30)年12月30日をもって閉店となり、現在は「富いち」というラーメン店が居抜きで営業しています。
■こぐまグループ フラワーランド店(上富良野)
上富良野町西5線北27号 フラワーランドかみふらの
1994(平成6)年の電話帳から記載あり、1998(平成10)年の電話帳には記載がありませんでした。
■こぐまグループ 中富良野店
中富良野町暁町3-15
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
2000(平成12)年の電話帳で確認。2014(平成26)年7月撮影のGoogleストリートビューでは営業しているようでしたが、2015(平成27)年版の電話帳(2014.10.30現在版)では記載がありませんでした。
■こぐまグループ 熊蔵(上湧別)
上湧別町屯田市街地12-1
店舗外観画像はGoogleストリートビューより
2017(平成29)年末〜2018(平成30)年頃に閉店となったようです。
実食記事は熊系研究家esさんの「旭山ら〜めん通り」の記事ご参照下さい。
【こぐまグループとしてオープンし、その後独立したが閉店となった店舗】(2020年現在)
■こぐまグループ 滝川店
滝川市東町6丁目201-47
1999(平成11)年の電話帳で確認。それ以前の1997年電話帳には記載がありませんでした。
時期は不明ですがこぐまグループを離脱し「麺 北龍」としてオープン。
しかし2009(平成21)年4月、別経営になり電話番号も変更されています。現在は「だるまや滝川東町店」があります。
以上、第2回「こぐまグループ店舗紹介」でした。
次回は第3回「電話帳にみる旭川熊系店舗の年代別変遷(旭川・上川・北空知)」「熊ッ子/こぐま"分裂"について」です。
「こぐまグループ店舗一覧」(2020現在)
●熊ッ子チェーンとしてオープンし、現在はこぐまグループとして営業している店舗
南東光店、4条店、近文店、士別店、東神楽店、北見1号店、北見2号店、熊の屋(釧路)
●熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入したが現在は独立営業している店舗
え〜やん(深川中央店)、文西店(深川)
●こぐまグループとしてオープンし、現在もこぐまグループとして営業している店舗
美瑛店、東川店、豊岡4条店
●こぐまグループとしてオープンし、現在は独立営業している店舗
こぐまん(豊岡店)、富良野らーめん花道(上富良野めん紀行店)、渓水店(芦別)
●熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入した後に閉店となった店舗
豊岡北斗店、神楽店、東2条店、緑が丘店、末広店、深川店、2条店、神居店、住吉店、留萌店、根室白雪店
●熊ッ子チェーンとしてオープンし、こぐまグループに加入した後に独立をしたが閉店となった店舗
宗(永山店/ドライブイン永山店)
●こぐまグループとしてオープンし、閉店となった店舗
新富店、フラワーランド店、中富良野店、熊蔵(上湧別)
●こぐまグループとしてオープンし、その後独立したが閉店となった店舗
滝川店
情報ありがとうございます!
神居ふれあい通り店の記事は第1回「熊ッ子チェーン店舗紹介」にあるのですが、移転前の忠和店の様子はそんな感じだったんですね〜。想像を巡らせています
現マツダの場所で営業する前は、12号線の反対側にて2年ほど営業されていたようです。
神居にも美登利あったんですね??旭川のお蕎麦屋はラーメンがは美味い店が多いんで、そこもさぞかし美味しかったでしょうねー
じぇっつ
がしました