- 2020年9月20日 初回公開
- 2020年9月24日 北海道新聞1992年7月1日夕刊広告 追加
- 2022年2月23日 電話帳旭川熊系店舗年代別変遷(札幌) 追加
第1回は「熊ッ子チェーン店舗紹介」、第2回では「こぐまグループ店舗紹介」をお送りしました。
第3回は「電話帳にみる旭川熊系店舗の年代別変遷(旭川・上川・北空知)」「熊ッ子/こぐま"分裂"について」をお送りします。
■電話帳にみる旭川熊系店舗の年代別変遷
今回の研究は主に電話帳を活用しました。熊ッ子チェーン創始の1974(昭和49)年から2015(平成27)年版を閲覧し、1974〜2009年の35年間の電話帳から年表を作成しました。(旭川・上川・北空知地方)
こちらのファイルを開いてご覧下さい。(PC表示向け)
電話帳旭川熊系店舗年代別変遷.pdf (599KB)
熊ッ子チェーンとしてのオープン、こぐまグループへ加盟などの変遷が解りやすいかと思います。
同じく電話帳から抽出して作成した、1983〜2014年札幌市内の年表です。
こちらのファイルを開いてご覧下さい。(PC表示向け)
電話帳旭川熊系店舗年代別変遷(札幌).pdf (117KB)
■熊ッ子/こぐま"分裂"について
1992(平成4)年7月1日、「熊ッ子チェーン」が分裂し「こぐまグループ」が誕生しました。何度も登場している「92年7月事変」です。
当時、旭川ラーメンファンの間ではかなり大きなニュースだったのではないかと推測しますが、現在インターネット上ではその詳しい事情をうかがい知ることは出来ないようですので、そこに触れていきたいと思います。
分裂について記されている2つの資料を提示しますが、参考資料は現物コピーではなく、当研究所にてテキスト化したものを掲載します。
また、著者が伝えたかったニュアンスを崩さないよう(私見が入らないよう)、要約はせず原文のまま掲載します(明らかに主題と関連のない部分は略しました)。
まずは出版日順に、
月刊北海道経済1992年9月号の記事をご覧下さい。
北海道経済1992.9.pdf (282.8KB)
文中にある1992年7月1日の北海道新聞夕刊の2段広告です。
分裂騒動の概要はこの文章の通りですが、興味深いのは「熊ッ子」を脱会せずに佐藤製麺の麺を使用していた店が意外にも多い点です。記事では道内外40店舗中の27店舗と半数以上もあります。実際に確認出来たのは池田町の「善」のみでしたが、これは熊ッ子チェーンとしては大きな誤算だったのではないでしょうか。
2017年4月11日のフリーペーパー「ライナー」で『みんなみんな生きているんだともだちなんだ-旭川のキャラクターを一斉調査』という特集が組まれ、熊ッ子チェーンの熊、こぐまグループのこぐまも紹介されていました。こぐまグループのこぐまについては、
「こちらは元気いっぱいのこぐまちゃん。平成4年7月1日生まれで蟹座のこぐま。佐藤製麺社長いわく『とにかくかわいく愛されるように』とグループ創設時に作ったから、熊っ子のくまと親子関係ではありませんよ〜。」と紹介されています。
実はこの"こぐまちゃん"が商標出願されたのは1992(平成4)年4月27日。「北海道経済」記事中に"4月7日に嘆願書に対する返事が届いた"旨書かれていますが、この熊ッ子チェーンからの返事の内容を受け、来るべき6月30日以降へ備えてこぐまのマークを商標出願したのでしょう。
続いて『熊ッ子誕生物語』より熊ッ子チェーン相原会長の見解を見てみましょう。
「ラーメンでみんなが幸せになれたら」より抜粋.pdf (189.93KB)
1992年といえばバブル景気崩壊の真っ只中でしたが、その数年前からの景気悪化を鑑み自社工場の製麺による独自の麺を開発し不景気時代を乗り越えようと画策されたのでしょう。
では、喜多方ラーメンを参考にしたという"多加水で軟らかい麺"というのはどういう麺だったのでしょうか。『熊ッ子誕生物語』に当時の記事が掲載されていたので紹介致します。
つるつるしこしこ多加水麺-自社製麺工場発信の美味と食感.pdf (162.04KB)
不況に向かう世の中で、チェーン全体の生き残りの為に総本山自らが変革を決意した
「熊ッ子チェーン」。
馴染み客のため、味の存続のため総本山と袂を分かつ決断をした(せざるを得なかった)
「こぐまグループ」の各店。
このような分裂騒動からもうすぐ30年が経とうとしていて、惜しまれつつ閉店となった店舗も多くありながらも、「熊ッ子」「こぐま」いずれも旭川市民に愛され続けているという点は、いち旭川市民、いち旭川ラーメンファンとしてとても嬉しく思うところであります。
■おわりに
1974年から45年余にわたり旭川ラーメンを代表するチェーンのひとつとして道内各地、日本国各地に拡がった熊ッ子チェーン/こぐまグループの「旭川熊系」ですが、憂慮されるのは今後の店舗と味の継承というところになってくると思われます。
多くのお店で経営者の高齢化が否応なしに進む中で、既に代替わりしたお店、後継者がおられるお店もありますが、当代で閉店となるのではと心配される店舗があるのも事実です。
2006(平成18)年の日本食糧新聞の記事『北のラーメン店(9)熊ッ子チェーン』で、(株)熊ッ子チェーンの長野憲司専務は今後の展開について「直営で増やす考えはない」と現状のFC展開にこだわりがあるようです。
流行している形態や自分独自の味でラーメン店をオープンする人が多い昨今、FC店として伝統的な味を継承していく若者が次々と現れることは難しいと思われますが、どうか我々が愛するオールドスタイルな旭川ラーメンを後世に残し続けていただきたいと願うばかりです。
大変長くなってしまった研究発表(?)ですが、今年5月頃に書き始めた当初の旭川熊系のまとめ記事は「2019年に池田町の"善"に訪問して、北海道に現存する旭川熊系全てにおじゃましたから、行ったお店のまとめ記事でも書こうかいな」というノリで書き始めたものでした。ところが書き進むにつれて以前散歩中に「2条店」跡の前を通った時に感じたノスタルジーが頭を巡り、熊ッ子チェーンの隆盛や閉店していった旭川熊系店の繁盛ぶりに思いを馳せるようになり、また探求心に火がついて(トロ火ですが)このような感じのまとめ記事になりました。
店舗一覧は主に古い電話帳を参考に調べたものですが、もしかすると熊ッ子/佐藤製麺両社の広報担当の方に取材を申し込んでお願いしたら教えて頂けたのかも知れません。しかしそういう取材をする術も度胸も立派な大義名分もないもので、、、独自調査となりました。
古くからの旭川ラーメンファンの方々には懐かしく、旭川熊系の隆盛をご存じない世代には新たな発見となる記事になったら喜ばしいことこの上ないです。
今後も何か新たな情報が判りましたら随時更新していく予定です。
記事をご覧になり、「実は○○にも熊ッ子があったよ」とか、「記事に書かれている情報は間違ってますよ」などあれば是非とも記事へコメント戴けると幸いです。
皆様、最後までご覧下さりありがとうございました!
Magic Boy様、「エターナルプレイス北海道」管理人のpira様、貴重な画像を拝借しております。問題等ございましたらご連絡お待ちしております。
電話帳や住宅地図など重たい資料を何冊も(何回も)運んできて下さった旭川市中央図書館のスタッフの皆様にも感謝申し上げます。また、札幌市中央図書館、市立名寄図書館、市立士別図書館、当麻町立図書館、稚内市立図書館、北見市立図書館、美幌町図書館、市立留萌図書館、滝川市立図書館、国立国会図書館のスタッフの皆様にも感謝申し上げます。
貴重な情報を下さったラー友の まんたろうさん、クサイダーさん、勝手リンクを許可して下さった同じくラー友で、熊系/山岡家研究家「旭山ら〜めん通り」のesさん、そしてご自身のサイトに掲載している画像の原版をご提供下さった「極うま 旭川ラーメン食べ歩き」のnoriさんに深く感謝申し上げます。
最後に、「旭川ラーメン熊ッ子チェーン」ならびに「こぐまグループ 旭川ラーメン」の関係者の皆様、勝手に色々調べまして申し訳ございませんでしたm(_ _)m
《参考文献》
相原孝一 (2003) 『旭川ラーメン「熊ッ子チェーン」誕生ものがたり:ラーメンでみんなが幸せになれたら』山手出版社
旭川大学経済学部 江口ゼミナール (2015) 『今日も旭ラー:あなたの食べたいラーメンがここにある』旭ラーガイドブック製作委員会
「内部分裂した熊ッ子チェーンに何があった!?」,『月刊北海道経済』1992年9月号,p36〜p40,(株)北海道経済
「北のラーメン店(9)熊ッ子チェーン」,『日本食糧新聞』2006年5月12日号,6面
小生がおじゃましたことのあるお店の方なのですね?
お世話になりました〜
千葉にはやはりあったのですね!!? そして仙台ほどの都市であればやはりありましたか〜
本当は当時をご存知の方に詳しくお聞きしたいものですが、なかなか〜w
じぇっつ
がしました