Jets' Diary-Shuffle It All (Jets似非旭川ラーメン研究所)|旭川ラーメンブログ

旭川ラーメン、アクアリウム、B級グルメ、山登り、アウトドア、DIY、ギター、音楽、クルマ、ドライブ、雑記...etc たまに書きます。

 ⚠️価格・営業時間・禁煙情報などは訪問当時のものです。

戦国・歴史モノ

奈良市をお散歩(新大宮〜唐招提寺〜薬師寺〜大和郡山城趾)

前回記事、梅光軒奈良店で昼ご飯を戴いたのでお散歩するとしましょう。

梅光軒から国道369、国道308と歩いて行くと。
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平城京跡の朱雀門。
平城京跡には近鉄奈良線が横切っているのでさきほど車内から見えてました。
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彩華ラーメン。
奈良のご当地ラーメン「スタミナラーメン」の店です。かつてはススキノ交差点のあたりにもあって、若い頃は深夜にニンニキーなのを啜っていたもんですなあ🍜
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交番です。
無機質なイメージのある交番ですが、景観に溶け込むデザインで良いですね〜
警官だけに...

【唐招提寺(世界遺産)】
目的地に着きました。
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唐招提寺 金堂(国宝)
高校の修学旅行で奈良には来たんですが、唐招提寺は来た記憶がありません。

観光オフシーズンと武漢ウイルス騒動で人が少ないです。これはゆっくり拝観出来そうです。
金堂の中には大きな本尊・盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像の他、いずれも国宝の仏像が安置されています。
拝観者がほとんどいないので、しばし仏像に見入ることができます。
吸い込まれそうというか、全て見透かされているような気持ちになりますね。
仏像は撮影禁止なので唐招提寺のホームページをご覧下さい。
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圧倒されそうな威厳がありますね。
金堂の後ろには
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講堂。こちらも国宝。
同じく内部は撮影禁止です。
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鼓楼。国宝。
この他にも2つ国宝の蔵があって、国宝だらけです👏
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開山堂。
国宝の鑑真和上像の身代わり像が安置されています。
少し奥へ行くと、
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見事な苔。
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鑑真和上御廟。
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瓦と土なんでしょうか。歴史ありそうな塀です。
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椿。北海道民には珍しい花。
唐招提寺。大変見応えのあるお寺で、境内を2周ほど廻りました。

では、すぐそばの薬師寺に向かいましょう。
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北海道の道とは比べものにならないほど昔からある道なんでしょうね。
観光客が多い時はクルマの運転が大変そうです。

ここまで随分歩きましたし、結構寒いのでひと休みしましょう。
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道すがらにある「大納言」。
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そば/うどんがメインのお店のようですが、喫茶メニューから
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餅ぜんざい 650円
ラーメン食べる時と同じ行動をしてしまいますw
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温かいし甘い。寒い中歩いて来た身体に染みわたるようです。
実は、あんこ大好きなんですよ〜(誰にもナイショですよ)
付け合わせの塩昆布😮、この組み合わせは魔法をかけたかのように美味しくなりますね〜最初にやった人、凄いな!!
お茶も戴いてゆっくり休んだので、薬師寺に向かいます。

【薬師寺(世界遺産)】
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北側(唐招提寺側)の與楽門から拝観します。
まず、ぐるっと南門に廻って、
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金堂。
中には国宝の薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)が安置されています。
こちらも撮影禁止となっているので、薬師寺のホームページをご覧下さい。

薬師寺は高校の修学旅行で来ました。薬師寺と言えば面白いお坊さんの説法が有名ですよね。
我々生徒が説法を聞いている間、担任の教師(クズみたいな小男)が、こともあろうに境内で安いタバコを吸い始めて...面白いお坊さんに「先生!境内は禁煙です!」と叱られてましてね〜。その教師は当然生徒からブーイング👎🏼 社会科教師のくせに、本当に恥ずかしい“オトナ”ですよね〜。修学旅行中にその小男に降りかかった仏罰の話は、ここでは伏せておきましょう。
そんな思い出があります。

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国宝の東塔は解体修繕工事中でした。
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工事してなさそうに撮るも下に足場が。今年4月に工事終了だそうです。
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こちらは西塔。
金堂の奥には、
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大講堂。大きいですね〜
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東院堂。鎌倉時代に建てられた国宝です。
観光地として人気であろう薬師寺でしたが、画像をご覧の通り人はまばらにしかいません。
おかげでゆっくり拝観出来ました。

さて、次の予定までまだ暫く時間があります。
Googleマップで何処か興味深いところはないかサーチ。
見つけました!結構歩く距離ですが行きましょう!

薬師寺を後にし、南へと歩きます。
知らない町の住宅地を歩くって、趣がありますねー。
ちょっと雨が降ってきて益々肌寒くなってきました。

いつの間にか大和郡山市に入っていたようです。
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金魚の養殖場。
おお〜、これは道民には目新しい!
そういえば大和郡山市は金魚の町でしたね。かの「金魚が泳いでる電話ボックス」もこの町にあったんでしたね。我らが旭川市も地味に金魚の町らしいと聞いた記憶が。。。

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近鉄電車。かわいらしい車両ですね。

【大和郡山城趾】
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石垣が見えてきました!
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このお堀もいずれ水全部抜かれるんでしょうか?
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柳沢吉保公が祭られています。
時代劇などでは柳沢吉保ってヒール役なイメージがありますよね。悪い商人に「柳沢様も悪人でございますな」と讃えられ?ながら杯で酒を呑んでるイメージ(笑)
戦国ファンの俺としては、大和郡山城って筒井順慶や豊臣秀長のイメージなんですよね〜
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天守台。
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天守台からの眺め。
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見事な野面積みですね。
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追手門。梅林門とも呼ばれるそうです。
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「郡山城ならびに追手門(梅林門)の由来
戦国ファンの方はこちらの拡大画像を。

有名な郡山城。この地に立ってこの空気を感じられて感無量です。
さて。寒いですし歩き疲れたので次の目的地付近まで近鉄郡山駅から電車に乗って移動します!



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DeAGOSTINI(デアゴスティーニ) 「週刊 戦国甲冑をつくる」

かっちゅう



かなり欲しい



戦国フリーク歴たぶん18年。中でも伊達政宗公と、政宗公の甲冑が最も好きなJetsとしては体中の毛穴から手が出るほど欲しい!
しかも鎧櫃まで付いてくると言うではないですか!!

全55巻で創刊号が790円。残り54巻は1,990円で完成までの合計金額は


108,250円也。


すでに心が折れました。


興味と財力のある方はお先にどうぞ or2

戦国浪漫探訪 小田原城

石垣山一夜城から退却、昼食を終えて小田原城へ向かいました。
JR小田原駅から少し歩くと着きます。
小田原駅から最も近いのは北入口なのですが、ちょっと遠回りして正面入り口から入ることにしました。

橋






正面入り口の橋。この他に馬出門からも入ることが出来るのですが、馬出門は再建工事中でした。


二の丸隅櫓二の丸隅櫓解説






二の丸隅櫓
どうやら今の小田原城の中で最も古い建物のようです。


二の丸跡二の丸跡解説






二の丸跡
広場です。花見とかお祭りとかの会場になってたりするのでしょうか。


銅門(場外から)銅門(城内から)







銅門解説銅門 塀






銅門(あかがねもん)
馬出門から入るとこの門から入ることになるのでしょうか。堅牢な門です。平成9年に復元されたそうで、その際に試作した壁が展示してあり、内部の構造がよく解ります。木で柵を作り竹塀にする。その上から土を何層にも盛っていく工程が見受けられます。

では、天守閣へ。

天守閣広場には
象さんお猿さん






象さんとお猿さんがいました。

小田原城天守閣小田原城天守閣2







きれいな天守閣。小田原城は明治3年に廃城になり売却・解体されたそうで、この天守閣は昭和35年に復興されたものだそうです。ただし、本来の姿とはちょっと違うそうです。
内部は全て展示室になっていて、ちょうど「天守閣所蔵優品展」が行われていました。いい時に来た〜〜!
展示物は多くの刀剣、薙刀、槍、甲冑などをはじめ、書状、輿や生活道具、天守閣復興の際に作られた大きな雛形など。美しい太刀や脇差しには本当に魂が吸い込まれそうになります。
館内撮影禁止につき画像がないのが残念。黙って2、3枚撮ってくればよかったかな〜(笑)
天守閣内に1時間以上いました。特に武具にはひとつひとつ見入ってしまって、他のお客さんにはジャマな奴だったと思います(笑)


天守閣から望む石垣山方面






小田原城天守から望む石垣山方面
写真右側の鉄塔があるあたりが石垣山一夜城だそうです。
北条方はここに突如城が出現して肝を冷やしたのでしょうか。

小田原城ジオラマ






城内の歴史見聞館にあった小田原城のジオラマです。(江戸時代)

2時間ほど滞在し、再び新幹線こだまに乗車。羽田空港を目指します。

戦国浪漫探訪 石垣山一夜城

戦国浪漫探訪 今回は天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲。その本陣があった石垣山へ行ってきました。
この城に関する解説は後ほど写真に出てきます。
豊臣秀吉はじめ諸将はどのような角度で小田原城を見下ろしていたのだろう。そしてかの伊達政宗公が白装束でこの地に現れたと言われています。政宗公もここから小田原城を眺めたのでしょうなぁ。そう想うとワクワクします。

東京・品川駅から新幹線こだまに乗って小田原へ。新幹線に乗る機会が少ない北海道民としては(俺は初の新幹線)速さに感激しました。小田原まで30分足らず。
小田原からは東海道線に乗り換えて次の早川駅で下車します。
JR早川駅






JR早川駅。
小さな木造の駅舎で自動改札がありません。この風景、すごくいいですね〜。もし絵が得意だったらキャンバスにしたためたい風景です。

ポスト






駅の横には懐かしい形の郵便ポストが。

さて、石垣山一夜城を目指します。ここから2キロほど歩いて山を登ります。天気も良く暖かいので(旭川からきた者にとっては)気持ちの良いトレッキングになりそうです。
道のりはこちらを。

坂道坂道2






タフな坂道が続きます。
坂の途中で見かけたもの
猿






こら!太閤殿下に失礼なるぞ!(笑)

みかん2みかん






みかん栽培が盛んな土地のようで。これは俺にとって非常に珍しい風景!たくさんのみかんがたわわに実ってきれいだな〜

さて、この道には所々にこのような看板があります。登っていく順に

堀秀政伊達政宗







宇喜多秀家徳川家康







羽柴秀次千利休







淀殿豊臣秀吉






堀秀政、伊達政宗、宇喜多秀家、徳川家康、羽柴秀次、千利休、淀殿、豊臣秀吉の順に「石垣山に参陣した武将たち」ということで紹介されています。もちろんごく一部の武将なんですが。


坂道から望む小田原城






登城途中で見えた小田原城天守。結構近くに見えます。

石垣?






このような石垣が。これは築城当時のものなのだろうか?眺めているとスズメバチが目の前に飛んできました。おうおうおう!と言いながら退散。


石垣山一夜城歴史公園碑






ようやく到着。平地なら3キロを30分で歩く俺ですが約2キロで40分ほどかかりました(あちこちで立ち止まりながら)。

石垣山 俯瞰図






石垣山一夜城歴史公園の俯瞰図。

入り口






ここが入り口。樹木が鬱蒼と生い茂っています。
入るとすぐに
入り口付近石垣入り口付近石垣2







入り口付近石垣3






このような石垣が現れます。

石垣山一夜城 解説






これが石垣山一夜城の解説です。

少し歩くと二の丸跡にたどり着きます。
二の丸跡二の丸解説






広場になっています。ハイキングに良い季節にはここでお弁当を広げる人も多いそうです。解説の看板もあったので掲載。






上の二の丸の写真を撮ったところで後ろを振り向くと
本丸へ






本丸へ登る坂。
本丸入り口石垣






本丸の裾にも石垣が。


本丸跡本丸跡2






本丸跡
木々に囲まれた空間です。
ここに来るまで人の姿を見ていません。見回しても俺一人のようです。聞こえるのは風の音と鳥の声、木々のざわめきだけ。まるで古武士達が俺だけに語りかけているかのようだ。

石垣山一夜城構造解説






構造解説がありました。

物見台から小田原城を望みます。
本丸跡から望む小田原城






なるほど。秀吉がここに城を築いたわけだ。
ここから小田原城を見下ろすと北条方の動きが手に取るように解ったんでしょうな。
山岡荘八の「伊達政宗」で秀吉は政宗に小田原城包囲の陣備えを見せたというシーンがありますが、このような眺望だんたんでしょうかね〜(あくまで小説の中の話ですが)

物見台の近くにはこのような石が無造作に置いてありました。祠を収めていたのでしょうか?
祠?






天守台へ天守台跡






天守台へ向かう道と天守台跡です。意外に狭い空間です。天守そのものはそれほど大きくなかったのかもしれませんね。

では、井戸曲輪跡へ。
井戸曲輪







井戸曲輪解説






解説。

井戸曲輪2井戸曲輪5






井戸の底
井戸曲輪3






解説にあるような「湧き出る水」とはほど遠いですが、確かに水はあります。

井戸曲輪4






井戸の底から見上げた石垣。
この井戸曲輪は地震などで崩れた他の場所に比べて本当によく形をとどめています。石垣の谷の底に井戸があるという感じで、一際冷気に包まれています。400年前もこのように冷気に包まれ、冷たい清水が湧き出ていたのでしょう。

井戸曲輪から出ると人の声が聞こえました。初老のご夫婦の姿が。数時間前は朝の品川駅で人の波に埋もれていたというのに、ここで初めて人の声を聞くと非常に驚愕しました。

石垣山から退却します。1時間以上もここでウロウロしてました。

相模湾






帰り道に見えた相模湾。きれいだな〜。

早川駅に戻ったのはお昼頃。せっかく小田原漁港のあるところなので海の幸を頂くことにしました。
早川駅前にある「さかなの食堂 こじま」へ。
刺身定食刺身定食






刺身定食 1,300円
しっかりビールも頂いています。電車の旅のいいところですな。
刺身はアジ(?)、まぐろ、ハマチ、エビ、タコ。あまりアジを食べる習慣のない北海道民としては、アジの刺身の美味しさは格別でした。

さて、小田原城へ!

入院準備-本を買おう!

明日から1週間ほど入院してまいります。
生命に関わるような疾患ではないと思うのですが、手術を受けます。

恐ろしく暇をもて余すと思うので、本を買いました。読書に明け暮れようと思います。
NINTENDO DSを持っているのでドラクエVで冒険するって方法もありますが、いい歳こいた男が人前でDSに夢中になってるのって個人的に好きじゃないのでDSは持って行きません。

今回用意した本は4冊

1.戸田藤成 著「武器と防具 日本編」新紀元社
日本人が用いてきた各種の武器の形状、機能、用途、威力を図解入りでわかりやすく解説されている、戦国モノの読書のお供。

2.童門冬二 著「小説 山中鹿介」学陽書房
出雲の名族尼子家再興を志す勇将山中鹿介を描いた小説。俺の今までの戦国モノの読書傾向とはちょっと系統の違うものを選んでみました。

3.下川裕治 著・編「古戦場 敗者の道を歩く」講談社+α新書
源平、戦国、幕末の38の合戦の流れを追いながら史跡を訪ねる、時空を越える旅ガイド。
「戦国浪漫探訪」の旅が大好きな俺としてはかなり期待できる1冊。

4.森田健介 著「ヤクザ者の屁理屈-貴方もヤクザになりませんか」幻冬舎アウトロー文庫
何かで「ヤクザ者に正論は通用しない」と読んだことがあり、ちょっと気になって手にした1冊。
パラパラとめくったところ、刑務所内でのエピソードも盛り込まれているようです。

この4冊、早く読みたくなってきました。入院前にフライングしようかな〜


 

 

戦国浪漫探訪 国宝・彦根城

戦国とは言うものの、大阪夏の陣もとうに過ぎた1622年に完成した城です。しかし関ヶ原の合戦の軍功で井伊直政が封ぜられた18万石の地に築城された城。石田三成の居城・佐和山城や小谷城、長浜城から資材などを移築して築かれた城で、天守閣は国宝に指定されています。

彦根城天守彦根城天守2












彦根城天守3






彦根城天守
やっぱり現存天守は風格が違いますね〜。

彦根城石垣






石垣。ここの石垣は明治時代に一度崩れたと、観光ガイドが説明しているのを耳にしました。寄せ集めの脆さか??

天守下より






天守閣の下から望む彦根の街と琵琶湖。

では、早速天守閣内部へ。観光客が多く、連日の猛暑と併せて天守内はものすごい暑さ。体中から肉汁が吹き出てきます。

天守内部天守内部2






天守内部3天守内部4






行列で進んでようやく最上階に。いい風が吹いていて気持ちがいい!
天守閣より琵琶湖






天守閣最上階から望む琵琶湖

重要文化財・天秤櫓へ。
天秤楼天秤楼2






天秤のように左右対称の形をしている建物ですが、幅が広いので片側のみ撮影。櫓の内部で特別展が開催されていました。
ひこにゃんひこにゃん2






ひこにゃん展?「ひこにゃん」は彦根城のキャラクターで、結構な人気だそうです。グッズは贋物も出回っているとか...
この「ひこにゃん」、可愛らしいニャンコが井伊の赤備えで有名な“徳川四天王の一人、猛将・井伊直政”モデルの兜をかぶっています。この組み合わせが俺のツボにはまり、気に入ってしまいました(笑)
鉄道模型(Nゲージ)の大きなレイアウト(ジオラマ)も展示されており、オタク度の高い青年が2名。天秤櫓内にはスリッパに履き替えて入るのですが、床から釘の頭が飛び出ていたので、Nゲージ青年に「兄さん、これ危ないわ。子供とか怪我するよ。お城の人に言っておいて〜」というと「あ、すみません。オウミ君!トンカチはあるかい?」

天秤櫓を出て櫓の下をくぐると、上から「トン トン トン トン」という音が...まさか、あの兄ちゃん、自分で釘を打っているのでは...!いちNゲージオタクが勝手に重要文化財を修繕していいのか?!

天守下にある馬屋。これも重要文化財に指定されています。
馬屋馬屋2






穴に入っている藁がリアルなような...

馬屋3馬屋4






彦根城のおみやげ。
ひこにゃんぬいぐるみ






ひこにゃん。娘がとても喜んでくれました。

彦根城を見て、井伊直政に興味が沸いてきました(ひこにゃんのせい?)書籍を探したいと思います。今度この地に来るときは彦根城の他に長浜城や佐和山城跡も見たい!!

■おまけ

Hマン






関ヶ原から彦根に入る途中に見つけた看板。米原市樋口(?)にて。この近くの精肉店で「さいぼし」という馬肉の干物が売っているのを発見!ビールによく合うとウワサ。お店に突入しましたが残念ながら品切れでした。

関ヶ原〜彦根の中山道を通ってみると、ここが交通の要所・軍事上の要害であることが解りました。彦根城・佐和山城がある琵琶湖畔に信長は丹羽長秀を、秀吉は石田三成を、家康は井伊直政を配した訳が解ります。

戦国浪漫探訪 関ヶ原古戦場

ついに憧れの関ヶ原古戦場へ!
「現在の古戦場は一面田畑だ」とのウワサを聞いていたが、そんなことはない。家もあれば山もある。学校もあれば役場もある。

【関ヶ原歴史民俗資料館】
歴史民俗資料館






まずはここを見て戦国浪漫モードへ。陣跡などの資料が手に入るだろうと思っていたところ、案の定詳細なマップを入手。
お土産売場がかなり戦国マニアの心をくすぐる品揃え。あれもこれもと思う気持ちを抑えて
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石田三成・大谷吉継の旗印がついたお猪口。かなりかっこいい!

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島左近ステッカー(50円)

ここは残念ながら館内撮影禁止なので写真はありませんが、甲冑、三成の書状など興味深いものが展示されていました。

そして陣所巡りへ!

■■ 東軍 ■■
【徳川家康最後陣跡 床几場】
家康 床几場家康 床几場2












家康 床几場 図






最初に陣を置いた桃配山からここに移動。戦後の首実検をしたところで、その模様が描かれています。今は陣場野公園になっています。

【本多忠勝陣跡】
民家の裏にあります。裏庭のようなところにひっそりと。忠勝の碑だけ蜘蛛の巣が...
本多忠勝陣本多忠勝陣2












【福島正則陣跡】
ここも民家が密集しているところにあります。ロケーションもそうですが(東軍陣地は市街地ってこともありますが)、様々な視点からみて、関ヶ原は“西軍贔屓”なところだと思いました。
福島正則陣福島正則陣2












ここには大きな杉の木があります。
月見宮大杉月見宮大杉2






月見 宮大杉。関ヶ原合戦図屏風にも描かれている大木。すごい!関ヶ原の合戦を見届けてきた生き証人ですな。

■■ 開戦地 ■■
福島正則が宇喜多秀家隊に攻撃を仕掛けた場所。実際の開戦地はこの碑よりもかなり南側にあるそうです。
開戦地開戦地2












■■ 西軍 ■■
さて、いよいよ西軍です。

【小西行長陣跡】
小西行長小西行長2












ここに小西行長は6000の兵で陣を構えていた。西軍敗北が決まると逃亡したそうです。(キリシタンなので自害出来なかった)

【平塚為広の碑】
平塚為広2平塚為広












大谷吉継隊に加わっていた平塚為広はかの有名な裏切り者・小早川秀秋の造反で討ち死。

【島津義弘陣跡】
島津義弘島津義弘2












今は神明神社になっています。西軍敗色濃厚となった時、孤立した島津隊1500の兵は東軍の敵中を突破!薩摩まで逃れた時は80人しか残っていなかったとか...

【宇喜多秀家陣跡】
豊臣政権五大老・宇喜多秀家の陣。天満山に17000の兵で陣を置き、福島正則隊と激突して開戦。
宮本武蔵が奮戦したのがここだそうです。古い方の碑は「浮田」になっています。
宇喜多秀家宇喜多秀家3












宇喜多秀家4宇喜多秀家2






【大谷吉隆(吉継)陣跡・墓所】
俺の中では関ヶ原ヒーローの一人・大谷吉継の陣です。
クルマを降りて結構な距離の山道を歩きます。
まず墓所へ。
大谷吉継墓所大谷吉継墓












大谷吉継墓所2






ハンセン病を患い、馬に乗れず輿に乗って兵を指揮。西軍敗北が決定的になったとき、吉継は首を山中に隠すよう家臣に命じて自害。この墓は大谷隊と激突した東軍の藤堂(高虎)家が建てたそうです。豊臣政権内で文吏派からも武断派からも信頼されていたという吉継の人望が現れているようなエピソードだと思います。

大谷吉継陣2






墓からこのような山道をしばらく歩くと
大谷吉継陣大谷吉継陣3












大谷吉継陣跡
不穏な動きの小早川隊の抑えのためにここに陣を張るが、自軍の脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保が小早川秀秋の裏切りに乗じて寝返り、壮絶な戦いの末、吉継は自害する。

【石田三成陣跡】
笹尾山






石田三成は関ヶ原が一望できるここ笹尾山に陣を置く。

山の麓に島左近の陣が。
島左近陣島左近陣2






石田三成陣跡の碑
石田三成陣石田三成陣3












石田三成陣2






石田三成陣からみた関ヶ原
笹尾山から関ヶ原






石田三成陣から見た松尾山(小早川秀秋陣)
笹尾山から松尾山






予想していたとはいえ、松尾山から小早川隊15000がどっと大谷隊に攻め掛かった時、三成は「アッー」とか「あのクソガキめ!」と思ったんでしょうね(笑)

■■ 決戦地 ■■
石田三成陣の下にあります。
決戦地決戦地3












周囲は農耕地です。
決戦地2決戦地5






決戦地のすぐ横で農作業をする爺さん。とてつもなく凄いところで仕事してますね!
決戦地4






憧れの関ヶ原古戦場。やはり重みを感じるところです。400年くらい前にここで時代が変わる合戦が...「ワーッ」という声や甲冑がぶつかる音、馬の蹄や嘶きの音、そして汗と血のにおいが溢れかえっていたんでしょうね。とても文章には出来ないような感激が沸き返ってきます。

戦国浪漫探訪 荒子城址-前田利家卿誕生の地

中村公園から再び地下鉄東山線に乗り、高畑駅へ。少し歩くと前田利家の誕生地「荒子城址」があります。
冨士大権現天満天神宮という神社が荒子城址という説。遺構らしきものは何もないです。
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住宅地にある神社。隣には権現公園があります。境内では孫にセミをとってあげようとがんばるお爺ちゃん、応援する孫。微笑ましい光景です。

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荒子城址である事を示す能書き。

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祠。もちろん参拝。

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前田利家卿誕生の地の石碑。大きな石碑です。

名古屋市のHPによると「荒子城は利家の父利昌によって天文年間に築城され、堀に囲まれたおよそ東西68メートル南北50メートルの小規模な館のような城で、利家も永禄12年(1569)荒子城主となり、城の鎮守神として冨士権現を勧請した。祭神は木花開耶姫命と前田家が祖先としている菅原道真。」と。
利家が越前に移った時に廃城になったとか。2代で廃城になってしまったんですね...
別の説では利家誕生はここではないとか。

荒子城址から近いところに荒子観音があります。
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多宝塔(重要文化財)
17:00を過ぎると門が閉められてしまいます。17:30頃に行ったので仕方なく門の外から撮影。
またまた名古屋市HPから引用。「荒子観音は、天平元年 (729年) の創建と伝えられ、加賀藩主前田利家が天正4年(1576) に修造しました。多宝塔は天文5年 (1536) に再建され、市内最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されています。」

帰りは名鉄の荒子駅へ。駅前に前田利家卿の騎馬像がありました。
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駅のホームから撮影。

戦国浪漫探訪 名古屋市中村公園と周辺(豊臣秀吉・加藤清正誕生の地)

豊公と加藤清正公の誕生地を目指して名古屋市営地下鉄東山線に乗り込みました。
名古屋市中村区の「中村公園駅」下車。大きな鳥居をくぐってまっすぐ歩くと中村公園があります。

名古屋の下町を歩き、まずは公園内にある「秀吉清正記念館」へ。

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極めて残念...

気を取り直して公園内にある「豊国神社へ」
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ここが豊臣秀吉公の生誕地であります。
見えるでしょうか?右側にある豊太閤の肖像画。祭神が豊公で、明治18年に創建されたそうです。もちろん参拝。
神社の横には
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石碑。隣りにある看板には
「天文五年(1536年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次生母)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は異父同母の弟妹である。出生地については区内下中村町という説もある。」
と。

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公園内には大きな池が。市民の憩いの場です。

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公園内にある「八幡社」。加藤清正公が出陣の際に必勝祈願をしたお社だそうです。もちろん参拝。

さて、公園を出てすぐ隣にある「常泉寺」へ
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「豊太閤産湯の井戸」があります。
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きれいな水を湛えています。少し口含みました。暑いのでちょっとぬるい。

DSCF1154豊太閤の像も。












常泉寺のすぐ隣にある「妙行寺」。
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加藤清正公の誕生地とされています。
近く清正公御正当大祭(清正公まつり)があるらしく、お祭りの装飾がされていました。
もちろん参拝。
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清正公像。勇ましい姿です。

暑さも忘れ豊公、清正公の誕生の地を探訪し、賽銭を入れて合掌するとセミの声だけが響く静けさ。その時が戦国浪漫に浸れる瞬間であります。

戦国浪漫探訪 清洲城、墨俣城

戦国浪漫探訪in名古屋 第2弾。今回は清洲城と墨俣城を探訪してみましょう。

清洲城






清洲城。名古屋市の隣の清洲市にあります。
ところがこの清洲城、場所は本来の清洲城の場所ではなく、天守も想像で設計されたものです(資料が殆ど無い為らしいです)。平成元年に「ふるさと創生基金」を使って築城されたそうです。

本来の清洲城の場所はこの新清洲城の川の対岸にありました。

大きな地図で見る

なんということでしょう。清洲公園と清洲古城跡が東海道本線と東海道新幹線で分断されています。この分断された場所に本来の清洲城がありました。

まずは清洲公園。
織田信長公像






織田信長公像

清洲古城跡に行ってみましょう。



清洲城趾






織田信長公社






信長公を祭ったお社。

織田信長公石碑






信長公の石碑。

清洲城碑






そして清洲城跡の石碑です。

そばにあった清洲城概要
清洲城概要






内容は
■清洲城の概要
 清洲城の始まりは、足利政権の尾張守護であった斯波義重が守護所下津城(現稲沢市)の別郭として鎌倉街道と伊勢街道が合流する要害の清洲に築城されたと伝えられています。その後、文明8(1467)年に守護所下津城が戦乱で消失して以降、守護所は清洲城に移ったとされています。
 この時期には尾張国は守護代の織田氏が力を持つようになり、岩倉の織田氏が尾張の上四郡を、清洲の織田氏が下四郡を分割支配しました。清洲織田当主信友が守護斯波義統を殺害したのをきっかけに、弘治元(1555)年、那古野城にあった織田信長は、清洲城を攻め信友を討ち、清洲城に入城し、尾張支配の本拠地とします。永禄3(1560)年に桶狭間の戦いに勝利するなど信長は近隣の大名を次々に倒し、着々と天下統一へ歩みを進めますが天正10(1582)年本能寺の変により雄図半ばで、その夢は断たれます。
 信長没後、天正10(1582)年の清洲会議の後は信長の次男信雄が尾張、伊勢、伊賀の領主となります。当初は伊勢長島に居城を構えていましたが、天正地震、木曽川洪水等を契機に本拠を清洲城に移します。この頃、清洲城は大改修が行われたと推測され、天守、居館始め門塀、三重の堀などを築き城郭の規模も東西1.6km南北2.8kmもあったといわれています。
 信雄以降、豊臣秀次・福島正則・松平忠吉・徳川義直という錚々たる武将が清洲城主となりましたが、慶長15(1610)年、徳川家康は清洲廃都、名古屋遷都を指令し、3年後には「清洲越し」が完了し、当時の歌として「思いがけない名古屋ができて、花の清洲は野となろう。」が残っています。清洲越しにより清洲城は廃城となり、石垣、橋、武家屋敷などの古材は名古屋城築城に利用され、名古屋城の西北隅櫓(清洲櫓)は清洲城を移築したとも伝えられています。
■再建清洲城
 平成元(1989)年「美しい歴史のまちづくり」をめざした清洲町の町制百周年記念事業として、16世紀の戦国の世の郷土の英雄、織田信長公の居城として、かつて「東海の巨鎮」、「天下の名城」と称えられた清洲城を再建しました。
 この清洲城は、日本古来の城郭様式を随所に取り入れ再建されました。城郭の周囲には古い様式の石積みや漆喰塀、大手門の両側には信長塀、大小の天然石を野面積みで構築した石垣、更に本瓦葺三層四階望楼付の天主閣がそびえます。

と書かれています。儚いですね。線路に分断されるなど古城跡とは思えない扱い。徳川に捨てられてしまった城の悲劇ですね。

清洲城2






清洲城3






残念ながら場内に入れるのは17時まで。俺が清洲城に到着したのはそれを5分ほど過ぎてしまっていました。ま、これは「ビル」ですから入らなくてもOKでしょう。


次は墨俣城です。岐阜県大垣市にあります。
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が美濃攻めの際に戦略上の要地・墨俣に一夜にして砦を築いたという「墨俣の一夜城伝説」で有名ですね。

墨俣城”天守”2






墨俣城“天守”






立派な天守ですね。しかし本来の墨俣城は「砦」ですから、このような天守、まして金の鯱などありえないのです。「墨俣の一夜城」で有名な墨俣の住民の夢で歴史資料館として「ふるさと創生基金」を使って建設したそうです。
内部は国宝、重要文化財級の歴史的資料の“写真”が収められています。
墨俣一夜城












墨俣城趾












墨俣城碑

戦国浪漫探訪 国宝・犬山城

仕事で名古屋を訪れる機会に恵まれ、せっかくなので延泊して戦国浪漫探訪をしてきました。
(時々ある本州出張の時のお約束になっています)
今回は愛知県犬山市、犬山城を訪れました。
国宝指定のお城(犬山城・彦根城・姫路城・松本城)の中で最も古い城です。

名鉄名古屋駅から犬山線に乗り、犬山遊園駅を下車すると県境の木曽川が見えます。
木曽川沿いに犬山城はあります。
犬山城〜木曽川河川敷から







木曽川河川敷から犬山城を望む

犬山城天守閣







犬山城天守閣2







犬山城天守閣3






国宝・犬山城

江戸時代以前に建造され現存している数少ない天守閣です。別名は白帝城。
天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田信康が築城。
小牧長久手の戦いの時は豊臣秀吉がここに陣を構えたそうです。
徳川時代には成瀬家が城主で明治の廃藩置県の際に廃城になり天守以外は取り壊されてしまったそうです。明治24年の濃尾地震で被害を受け、それを修復する条件で明治28年に成瀬家に無償譲渡され、なんと、平成16年まで成瀬家の所有だったそうです。
国宝に指定されたのは昭和10年。

では、さっそく入城してみましょう。

犬山城地階







ここは石垣の中、地階なんでしょうか。石垣と梁に歴史が漂います。

犬山城石落としの間






1階にある石落としの間。

犬山城階段






内部の階段はこんなに急勾配です。お年寄りも上ってましたが無事に降りられたのでしょうか?

犬山城武具の間






2階 武具の間。
写真ではわかりにくいですが、武具を収める棚があります。ここに甲冑がずらりと収められてたんでしょうね。

犬山城武者走り






武具の間の周りを囲む「武者走り」重厚な黒いツヤの廊下。有事にはここをドタバタ走ってたのでしょうか?

犬山城望楼から木曽川犬山城望楼から木曽川2






望楼から望む木曽川。
向こうは岐阜県です。

犬山城国宝指定書






国宝指定書

犬山城下






城下

犬山城石垣






石垣

犬山城堀






堀です。永い永い時間の経過を感じます。

犬山城の入場券で城下町にある文化資料館、からくり展示館も入場できます。
文化資料館は特に有り難いものはなかったです。からくり資料館では「茶運び人形」の実演をやっていました。

戦国浪漫探訪 真田幸村公の足跡を訪ねてin大阪

大阪に来れたので、マイヒーローである真田幸村公の足跡を訪ねてみることに。徒歩で。

余談ですが史料の中では公を「幸村」と記した記録は一切ないそうです。本当の姓名は「真田信繁」で更に「真田」の本姓が「滋野」、更に豊臣秀吉から「豊臣」を名乗る事を許されていたということで名前がたくさんあります。他に「源二郎」「左衛門佐」など姓名の間に入れるような名前もありま。「幸村」の名前の由来は諸説ありますが、公が亡くなってからの物語で出てくる名前のようです。この日記では一般的に通じている「幸村」で記します。
幸村公のプロフィールや戦歴などの細かい事は幸村公を取り扱った本やサイトがたくさんありますので、そちらを探してみて下さい。また、歴史考察ではなく旅日記なので、内容が史実と異なる点があったとしてもお目こぼしを(笑)

まずは散策したコース。
osaka_yukimura_map











こうして見ると結構な距離を歩いたんだな〜と。

JR玉造駅Aから少し歩くと「宰相山公園」に辿り着きます。公園内の敷地内に「三光神社」があります。ここに歩いてくるところに「空堀町」という住所がありました。雰囲気ある地名ですね!
このあたりに大阪冬の陣で真田幸村公が「真田丸(偃月城)」を築いたと言われています。

「B」地点の三光神社の境内に行くと...

三光神社












真田幸村公像真田幸村公像2












お〜「真田幸村公像」が!!なんとも勇ましい!!この銅像、昭和62年に出来たそうで意外に新しいですね。像が立っている茶色い石は、信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石で、真田石と銘打ってありました。

像の横には...
真田の抜け穴2真田の抜け穴












真田の抜け穴があり、穴の入り口は六文銭の鉄格子で閉ざされています。大阪の陣で真田丸から大坂城まで抜ける地下道があったと伝えられています。碑の側面には「知将真田幸村を偲んで」と。


「C」地点 心眼寺
宰相山公園にほど近い場所に「心眼寺」というお寺があります。宗派は浄土宗。
大坂夏の陣の後に真田幸村・大助父子を弔う意味で建立されたそうです。
心眼寺2心眼寺






扉には六文銭の紋が!

「D」地点 安居神社
大阪夏の陣で幾度も家康本陣を脅かし、一度は家康に自害を覚悟させたという奮戦をした幸村公もさすがに戦い疲れたのでしょう。ここの境内で傷ついた味方兵士を介抱していたところで攻め掛かってきた越前松平勢鉄砲組の西尾仁左衛門宗次にその首を授けたという地。
安居神社6安居神社5












安居神社4安居神社2






安居神社安居神社3












「眞田幸村戦死跡之碑」と「さなだ松」です。幸村公はこの松の下で戦死したそうです(写真の説明にあるように、実際の松は枯死し、この松は2代目)。
ここで、ここであの幸村公は散ったのか...
と思うと感慨深くなり、かなりの時間ここに立ちつくしていました。

「E」地点 茶臼山
茶臼山












天王寺公園内にある茶臼山古墳です。ここまで来るには天王寺公園の入場料がかかります。
大坂冬の陣では徳川家康の本陣、夏の陣では真田幸村隊の本陣となって有名な「天王寺口の戦い」の舞台となったところです。
茶臼山の麓にある小さな公園遊具の所でプロのカメラマンが女の子に色々なポーズを取らせて撮影をしていました。

自分で歩いて幸村公の足跡をたどる(道順は適当ですが)、すばらしい体験をしました。感慨も倍増です。
あ!「鎌八幡(円珠庵)」に行くの忘れた!!近くまで行ってたのに〜〜
悔いが残ります。
研究所入口
価格・営業時間・禁煙情報などは訪問当時のものです。


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Profile

じぇっつ

札幌市生れ。
平成18年〜旭川市在住。
血液型Asus4。
似非旭川ラーメン研究家。
ハチノジフグとアカハライモリが好きな山登りをするアクアリスト。
自称“山ラーおじさん”
jets.es135@gmail.com

なんとなく一言(たまに更新)
ラーメンをあまり食べてなかった時期がありまして〜。
最近のブログ更新はその時期のネタになります。
[其の95/令和6.3.14]
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